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嫉妬すら追いつかない 憧れすら届かない

「暗記が苦手」だと感じている受験生・高校生へ【受験勉強】

はい、どうもです。

 

この記事を見たということは、少なくとも、

「暗記苦手だなぁ」

「なかなか物事を覚える事って出来ないんだよなぁ」

「なんか集中できないんだよね」

という思いを少なくとも持っている高校生や、浪人生、また資格試験者などだと思います。

 

 

この記事が何かの助けになればなと思います。今回は「暗記」についての話になります。

 

英語・古典・世界史や日本史などの社会科目から、数学などを勉強するにあたって、まず大事になってくるのはこの「暗記」です。

 

まずは「暗記」をすることについて前提としてあることと、暗記をするコツ・仕方などを説明していこうと思います。

 

 

 

 

(1) そもそもの前提は「脳は基本的になまけもの」

暗記するために何が必要かというと、まずは「反復作業」になってきます。この反復作業は何回も何回も繰り返す動作にあります。

 

 

なぜなら、脳は基本的に怠け者だからです。

 

 

脳が1回見ただけの情報=必要のない情報と認識してしまうため記憶に残らず、すぐに忘れ去られてしまいます。

 

 

この脳の「すぐ忘れる」という機能については、「嫌な記憶をすぐに忘れることが出来る」というメリットはありますが、「大量の暗記を必要とする場面」においてはデメリットにもなります。

 

 

確かにそうなんですよね。

 

 

苦しい事や嫌なことをずっと頭の中に入れておくのって、それだけで不幸せになりますからね。

 

なので、これは脳の機能上の問題なのだという理解をしてください。

 

この前提を理解することが出来れば

「よし、1回の勉強ですべてを理解するぞ」

と意気込むことがいかに無駄で、のちの自分自身を苦しめることになるかというのが分かると思います。

 

 

もちろん「1回の勉強ですべて覚えきる」という気合・心構えは大事ですが、1回では覚えることはできませんので、何回も何回も反復しなければいけないという前提に立って勉強を進めていくようにしましょう。

 

 

 


(2) 暗記のコツとは?

→結局「喋り倒す」ことが重要

 

脳にこれは必要な情報だと思い込ませるためには、(1)でも書いたように「反復作業」を行っていくことが重要です。

 

脳もさすがに10回20回と同じ情報を与えられ続けたら、さすがに覚えなければいけないとなるので、その段階で暗記が出来たとなります。

 

その「反復作業」をしている時の方法が大事となってきます。

 

暗記をするときにどうやって勉強しているかを考えていただければと思います。

 

 

基本的に勉強の仕方というのは

①書いて覚える

②聞いて覚える

③喋って(読んで)覚える

だいたいこの3つに分類されると思います。

 

基本的にオススメしている勉強法は③の喋って覚える、です。逆に効率の悪い勉強法は、「書いて覚える」です。

 

 

 

 

 

(3) 「喋って覚える」>「書いて覚える」のワケとは?

暗記をする例として、英単語を挙げたいと思います。

 

例えば、「significant:重要な」という英単語と日本語の意味を覚えるとします。

 

 

書いて覚えるとなると

significant 重要な

significant 重要な

significant 重要な...

と何回も書くことになります。

 

例えば、これを5回書いたとしましょう。

 

1回やってみて欲しいのですが、喋って暗記をすれば、書いたのと同じ時間で10回読むことが出来ます。

 

先ほどの(1)で書いた前提に基づくなら、暗記するためには何回も反復する必要があります。同じ時間で勉強するなら「喋って勉強する」ほうが効率が良いということです。

 

「書いて覚えないと、実際の試験でも書けないじゃないですか?」

と思われる人も多いと思いますが、何回も同じ文字を見て脳の中に刷り込めば、その単語をスキャンして文字として認識するため、「その言葉が書けないです」という状況は無くなります。

 

 

なので、どんどん喋り倒して勉強を行っていきましょう。

 

 

 

暗記の前提とコツは以上です。

【受験勉強】勉強時間を増やすためのコツは、学校の時間割にアリ!?

はい、どうもです。

 

さて、今回の内容は、「勉強時間を増やすための考え方」についてです。

 

高校生や浪人生向けの内容となっています。なので勉強時間を増やす考え方をこれから伝授するので、勉強する習慣をつけ、適応できるようにしていきましょう。

 

 

 

(1) 勉強時間を増やすヒントは、学校の「時間割」にアリ!?

何か新しいことを始めたい、習慣にしたい時は基本的に従来自分が行っている習慣に自分が行いたい習慣をくっつけていくことによって継続しやすくなります。

 

今回の「勉強時間を増やしていきたい」という事であれば、今自分が行っている習慣をそのまま導入すればよいわけです。

 

それで、今回導入するのが「学校の時間割」です。

 

 

 

 

(2) 「学校の時間割」をどうやってどうやって受験勉強に導入するのか?

皆さんが通っている高校の時間割はどのようになっているでしょう?

 

恐らく50分授業+10分休憩を1時間目分として大体6時間目まであると思います。

 

この「50分+10分」のセットを勉強の習慣に組み込むのです。新しく習慣を身に付けるのは大きなストレスがかかる場合が多いので、今身に付いている習慣を最大限に利用していきましょう。

 

これは、私自身が初期段階として、勉強時間と勉強量を増やす時の参考にしました。

 

 

この50分+10分という割合が大事で、私自身もそうでしたが、最初どのような高校生・浪人生でも2時間も3時間も連続して勉強を進めることは出来ません。

 

なので普段授業を受けている50分から始めて、休憩をはさんで夏休みが始まるまでには、だいたい連続して2時間くらいは勉強できるようにしていきましょう。

 

勉強時間と勉強量は徐々に増やしていく感覚です。

 

この「50分勉強+10分休憩」に受験勉強でするべき内容を当てはめて勉強をしていくのです。

 

 

 

例えば

1時間目:英単語暗記

10分休憩して

2時間目:英熟語暗記

10分休憩して

3時間目:英文法の暗記

10分休憩をして

4時間目:古典の暗記

...

これを、6時間目まで続けていくわけですが、もちろん部活動の時間もこの50分授業+10分休憩に当てはめて、勉強時間を増やしていきます。

 

だいたい3時間くらいは部活動をしていると思うので、プラスで勉強を行っていきましょう。

 

もちろん、厳密に50分きっちり決める必要は無く、自分が定めている勉強量が終わったら10分休憩でも良いです。ないしは50分でやって10分休憩で次の50分で続きから初めても良いです。

 

勉強時間を軸にするのはよしとされませんが、同じ能力で出来るなら時間を投下した方がより効率よく勉強を行うことが出来ます。

 

今行っている習慣にくっつけて、勉強時間を増やしていきましょう。

 


以上です。

【受験勉強】結局は「毎日の、日々の積み重ねが大事」である【部活動】

はい、どうもです。

 

勉強でも部活動でも、なんでもそうだと思うのですが、物事は「日々の積み重ね」が大事です。今回はそんな話です。

 

 

(1) なんでもそうだが、「日々の積み重ね」が大事

今回は分かりやすく受験勉強を例にします。

 

そもそも前提として成績を上げるためには、勉強をしなければいけません。

「基礎知識を大量に暗記」をして、

「それを使いこなすようにすること」で

点数に結び付き、成績が上がっていきます。

 

なので勉強することにおいて大切なのは、「日々の努力の積み重ね」となります。

 

 

大量の暗記など単調な勉強に、粘り強く耐えることが出来るかどうか、毎日の努力が、最後にはものをいいます。

 

「ものすごく勉強をしたい!!」と燃えている人もなかにはいますが、中学や高校の段階で、勉強が何よりも好きだと言う人は、割合からいうとものすごく少数派だと思います。(ちなみに私は多数派、つまり勉強はあまり好きではなかったです。)

 

 

勉強については、

・やらなくて済むものなら、やりたくない。

・避けて通れるものなら、避けて通りたい。

 

これが全国のほとんどの高校生や受験生にとっての正直な感想であり、本音でしょう。 

 

また、

・中間テスト、期末テストがあるから勉強する。

・大学入学試験のために勉強をする。

ほとんどの場合において、これが勉強の真実ではないでしょうか。

 

私自身、大学受験において本当に勉強をしたのは、浪人生という身分になってから猛勉強をしたと思っていますが、なかば「勉強をしなければいけない」という必要に迫られてやっていたという側面があります。

 

勉強する必要に迫られたからやった。

 

今思えば、本来ならあそこまで勉強をしなくても良かったはずなのに、ものすごく勉強できる浪人生の人がいたので、自分もその人達に負けないように、いや、勝てるように一生懸命勉強していたと思います。

 

 

 

(2) 人間に備わっている「本質」と戦うために

人間の本質というのは、「怠惰」と「勤勉」が一緒に存在しています。

 

そして、人間の本能に従って行動している場合は、ほとんどの場合は「怠惰」が勝ってしまいます。

 

なぜなら、怠惰な方が楽ですし、人間に備わっている生存戦略にも関わってくるからです。

 

 

楽だから怠惰な方へ流れる。

 

 

人にもよると思いますが、これで一生を終えられるなら、こんなに楽しく、楽なことはありません。

 

 

しかし、ここで考えなければいけない事があります。

 

人間として生きていく以上、ここに「競争」が入り込んできます。

つまり

「強いものが勝つ、優れたものが優位に立つ」

ということです。

 

 

人間は「集団を好む」生きものですが、(「群れる」「集団行動」と言ったりしますが、
基本的には集団で行動することで人間は繁栄してきたという歴史があります)それと同時に、「闘争本能」もあります。

 

集団の一員でありたいと望む半面、その集団のなかで自分自身の優位性を望む一面もあるのです。

 

こうなると、どうしても出てきてしまうのが、先ほど述べた競争の原理なのです。

 

他の人(今回なら受験生)より上に行こうとする気持ちと言い換える事もできます。

 

 

 

(3) 最後に

今回は受験を例にとりましたが、勉強することは、めちゃくちゃ勉強すれば分かることですが、かなり単調で退屈なものです。

 

ですが、この退屈さや単調さに耐えて、少しずつでも前に進もう、点数を上げようと努力しなければ、他人(つまり今回なら受験生)との競争に勝ち目はありません。

 

 

いわゆる「勉強の出来る生徒」とか、「成績の良い生徒」というのは、こういった勉強に耐えることが出来るという事です。

 

勉強が習慣になっている人たちということもできるでしょう。

 

何事にもそうなのですが、毎日コツコツと努力を重ねる人には勝てません。

 

 

自分で決めた目標に向けて努力を続けることが出来る、自己に対して厳しく接することが可能になった人に成功への道が見えてくるといえます。

 

高校生だけでなく、大学生、いや自分のような社会人にも言えることですが、勉強は必要必須のものといえるでしょう。

 

 

以上です。

関西学院大学一般入試世界史科目の「誤りを含むものはどれか?」選択肢まとめ(2025年の問題編)

はい、どうもです。

 

ここでは2025年の関西学院大学の世界史の「誤りを含むものはどれか?」の誤っている選択肢を抽出したものをまとめております。

 

どこが間違っているか?を見極めていってください。

 

それでは見ていきましょう。

 

 

 

関西学院    2025    全学部(2/1)  

 Ⅰ①    ポエニ戦争に関する記述    

第2回ポエニ戦争で、ハンニバルカンネーの戦いで敗れた。

Ⅰ② 共和政ローマに関する記述    

戦争捕虜を奴隷として使役するコロナトゥスが広まった。

Ⅰ➂ マケドニアに関する記述    

イッソスの戦いでアテネとテーベの連合軍を破った。

Ⅰ④    セレウコス朝に関する記述    

プリンケプスと呼ばれる、アレクサンドロス配下の将軍が建てた。

Ⅰ⑤    ローマの元老院に関する記述    

十二表法により、平民会の決議が元老院の承認なく国法とされた。

Ⅰ⑥    「内乱の1世紀」に関する記述    

ギリシアの諸都市で同盟市戦争が起こった。

 

Ⅱ①    ルターに関する記述  

 ドイツ農民戦争には当初から反対の立場をとった。

Ⅱ②    カルヴァンに関する記述    

チューリヒで、政教一致神権政治を実施した。

Ⅱ➂    宗教改革に関する記述    

カルヴァン派は、カトリックの司教制を引き継いだ。

Ⅱ④    ローマ=カトリック教会に関する記述    

対抗宗教改革の動きは、ロココ様式の芸術を生み出す要因のひとつとなった。

Ⅱ⑤    アウクスブルクの和議に関する記述    

個人の信仰の自由が認められた。

Ⅱ⑥    三十年戦争に関する記述    

カトリックのフランスは、ハプスブルク家を支援して参戦した。

 

Ⅲ①    ベトナムに関する記述    

陳朝は明軍の侵攻を退けた。

Ⅲ②    ベトナム中部・南部に関する記述    

フランスは1860年代にベトナム南部のトンキンを支配下に置いた。

Ⅲ③    カンボジアに関する記述    

スールヤヴァルマン2世がアンコール=ワットを都城として建設した。

Ⅲ④    タイに関する記述    

ラーマ5世はイギリスとの間にバウリング条約を結んだ。

Ⅲ⑤    ミャンマー(ビルマ)に関する記述    

ピューは元軍の侵攻などによって衰退した。

Ⅲ⑥    マレー半島とその周辺に関する記述    

イギリスは、ペナン、マラッカ、ブルネイを海峡植民地に編成した。

 

Ⅳ①    高麗に関する記述    

武官優位の風潮に不満を抱く文官がクーデタを起こした。

Ⅳ②    モンゴルと高麗の関係に関する記述    

モンゴルはクビライ(フビライ)の治世に高麗への攻勢を開始した。

Ⅳ➂    朝鮮(李朝)に関する記述    

陽明学を官学として採り入れた。

Ⅳ④    日朝修好条規とその締結にいたる出来事に関する記述    

日朝修好条規によって、開城、仁川、釜山の開港が定められた。

Ⅳ⑤    壬午軍乱と甲申政変に関する記述    

甲申政変を鎮圧した清朝軍の現地指導者は李鴻章であった。

Ⅳ⑥    甲午農民戦争に関する記述    

朝鮮政府に派兵を要請された清朝軍によって鎮圧された。

 

Ⅴ①    (アメリカ)共和党の大統領に関する記述    

レーガンは、ブレジネフとの首脳会談で戦略核兵器の半減に合意した。

Ⅴ②    フランクリン=ローズヴェルト大統領に関する記述    

チャーチルスターリンとの会談で、大戦後の平和構想を示す大西洋憲章を発表した。

Ⅴ➂    ニューディールに関する記述    

ワグナー法で労働者の団結権を認め、アメリカ労働総同盟を発足させた。

Ⅴ④    世界恐慌とその影響に関する記述    

イギリスは、オタワ連邦会議で金本位制の停止を決定した。

Ⅴ⑤    レーガン政権以降の共和党政権に関する記述    

トランプ政権(第1次)は、温室効果ガス削減に関するパリ協定に復帰した。

Ⅴ⑥    レーガン政権以降の民主党政権に関する記述    

クリントン政権下では経常収支が改善する一方、財政赤字は拡大した。

 

 

関西学院    2025    全学部(2/2)    

Ⅰ①    『旧約聖書』に関する記述    

最後の審判の教えは、マニ教から影響を受けた。

Ⅰ②    バビロンやバビロニアに関する記述    

バビロンはティグリス川中流域に位置した。

Ⅰ➂    ヘブライ人に関する記述  

 ダヴィデ王はイェルサレムヤハウェの神殿を再興した。

Ⅰ④    アッシリアに関する記述    

一時リディアに服属していた。

Ⅰ⑤    エジプトに関する記述    

アメンヘテプ(アメンホテプ)4世は、太陽神アメンを唯一神とする一神教を創始した

Ⅰ⑥    アケメネス朝に関する記述    

イラン島北部に発祥したペルシア系の王朝である。

 

Ⅱ①    ナショナリズムに関する記述    

プロイセンのハルデンベルクが「ドイツ国民に告ぐ」という講演を行った。

Ⅱ②    (フランス)国民議会の施策に関する記述    

ロベスピエールらが中心となって起草した人権宣言が採択された。

Ⅱ➂    (フランス)社会の統合に関する記述    

革命政府は、1793年憲法により「ラ=マルセイエーズ」を国歌とした。

Ⅱ④    ナポレオンに関する記述    

ローマ教皇との政教協約(コンコルダート)を破棄した。

Ⅱ⑤    フランスのヨーロッパ支配に関する記述    

大陸封鎖令により、ロシアと西欧諸国との通商を禁止した。

Ⅱ⑥    ウィーン体制に関する記述    

イギリス首相の呼びかけで神聖同盟が結成された。

 

Ⅲ①    国際連合に関する記述    

ブレトン=ウッズ会議で国際連合憲章の原案がつくられた。

Ⅲ②    東西冷戦に関する記述    

ブッシュ(父)大統領とゴルバチョフ書記長がレイキャビク会談で冷戦終結を宣言した。

Ⅲ③    経済的支援や協力に関する記述    

アメリ国務長官マーシャルが、西欧諸国や日本を対象にマーシャル=プランを発表した。

Ⅲ④    福祉国家に関する記述   

イギリスでは国民医療制度が発足し、困窮者限定の医療無料化が制度化された。

Ⅲ⑤    東欧諸国に関する記述    

チェコスロヴァキアで、ティトーが「プラハの春」を指導した。

Ⅲ⑥    ドイツに関する記述    

西ドイツは西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)に加盟した。

 

Ⅳ①    インドの宗教に関する記述    

カビールイスラームの排撃を説いた。

Ⅳ②    第二次世界大戦後のインドに関する記述    

バングラデシュがインドから分離独立した。

Ⅳ➂    14世紀半ば以降のインドに関する記述    

西インドのグジャラート地方はヒンドゥー君主のもとで栄えた。

Ⅳ④    ムガル帝国期の地方勢力の自立に関する記述    

北西インドで反乱を起こしたジャイナ教徒が王国を建てた。

Ⅳ⑤    ヨーロッパ諸国のインド進出に関する記述    

南インドでは、オランダのインド総督デュプレクスが一時勢力をのばした。

Ⅳ⑥    イギリスのインド支配に関する記述    

不安定ながらも各州の自治を認めるローラット法を施行した。

 

Ⅴ①    宋代の新興地主層に関する記述    

官僚を出した地主の家は、労役を免除される反面、営利事業を禁止された。

Ⅴ②    宋朝に関する記述    

太祖趙匡胤が中国本土の統一を達成した。

Ⅴ➂    宋代の都市経済や海洋交易に関する記述    

売買の取引には、主として銀貨や金貨が使用された。

Ⅴ④    南宋に関する記述    

司馬光の主導により、金と和議を結んだ。

Ⅴ⑤    元朝に関する記述  

南宋支配下の住民を漢人と呼び、従属的な地位に置いた。

Ⅴ⑥    元代の文化に関する記述    

三国志演義』や『金瓶梅』が小説として完成した。

 

 

関西学院    2025    学部個別(傾斜配点型2/3)    

Ⅰ①    コンスタンティヌス帝に関する記述    

四帝分治制(テトラルキア)を開始した。

Ⅰ②    ユスティニアヌス帝に関する記述  

 新たにソリドゥス金貨を導入した。

Ⅰ➂    ササン朝に関する記述    

アルダシール1世はエクバタナに都を置いた。

Ⅰ④    ビザンツ帝国の制度や文化に関する記述    

ビザンツ建築の特徴はドーム屋根と尖塔である。

Ⅰ⑤    ノルマン人に関する記述    

イングランドのアルフレッド大王はクヌートを撃退した。

Ⅰ⑥    十字軍に関する記述    

フリードリヒ1世は外交交渉でイェルサレムを回復した。

 

Ⅱ①    ウィーンに関する記述    

15世紀後半、スレイマン1世率いるオスマン帝国軍に占領された。

Ⅱ②    ハンガリーに関する記述    

スラヴ系の言語の話者であるマジャール人の民族運動が独立を志向した。

Ⅱ➂    アウスグライヒに関する記述    

オーストリアハンガリーは別々の政府を持ち、外交のみ共通とした。

Ⅱ④    ベーメンに関する記述    

旧教徒がハプスブルク家の宗教政策に反旗を翻し、三十年層が始まった。

Ⅱ⑤    クロアティアとクロアティア人に関する記述    

クロアティア人は、セルビア人とともにカトリック信仰を受容した。

Ⅱ⑥    ポーランド分割に関する記述    

第3回分割時にコシューシコ(コシチューシコ)が武装闘争を行った。

 

Ⅲ①    サウジアラビアに関する記述    

メッカの豪商サウード家が建国した。

Ⅲ②    クウェートに関する記述    

エジプトなどとともにアラブ連盟を結成した。

Ⅲ③    預言者ムハンマドとその時代のアラビア半島に関する記述    

ムハンマドは神からの啓示を『コーラン(クルアーン)』という書物にまとめた。

Ⅲ④    ウマイヤ朝に関する記述    

ムアーウィヤが行政用語をアラビア語に統一した。

Ⅲ⑤    イギリスのアラブ地域支配に関する記述    

首相グラッドストンスエズ運河会社の株を買収した。

Ⅲ⑥    シーア派の王朝に関する記述    

ファーティマ朝はカイロにニザーミーヤ学院を建設した。

 

Ⅳ①    新石器時代の中国に関する記述    

黄河中流域の良渚文化では玉器が発達し、殷に影響を与えた。

Ⅳ②    殷に関する記述    

初・中期の王都と見られる遺跡が河南省各地で発見されている。

Ⅳ➂    (中国)戦国時代に関する記述    

孟子易姓革命説を唱えた。

Ⅳ④    秦に関する記述    

統一貨幣として五銖銭が用いられた。

Ⅳ⑤    前漢に関する記述    

武帝は塩や茶の専売を行った。

Ⅳ⑥    匈奴に関する記述    

南北に分裂した後、南匈奴前漢に服属した。

 

Ⅴ①    アルゼンチンに関する記述    

イギリスとのフォークランド戦争に敗れた民主政権は、軍部に打倒された。

Ⅴ②    ベネズエラに関する記述    

チリやペルーを解放したサン=マルティンの出身地である。

Ⅴ➂    インカ帝国に関する記述    

けわしい山岳地帯に都市テノチティトランを建設した。

Ⅴ④    アメリカ合衆国ラテンアメリカ政策に関する記述    

タフト大統領は完成したパナマ運河の権利権を握った。

Ⅴ⑤    メキシコに関する記述    

スペインからの独立を達成したイダルゴは、共和国憲法を制定した。

Ⅴ⑥    ケネディおよびケネディ政権に関する記述    

キング牧師らの運動に理解を示し、公民権法を成立させた。

 

 

関西学院    2025    学部個別(傾斜配点型2/4)    

Ⅰ①    (ヨーロッパの)中世文化に関する記述    カール大帝の宮廷にアウグスティヌスが招かれ、ラテン語の文芸復興をもたらした。

Ⅰ②    キリスト教や教会への態度に関する記述    

トマス=モアが『カンタベリ物語』で、キリスト教の天国と異なる理想郷を示した。

Ⅰ➂    イタリアで活躍した芸術家に関する記述    

ラファエロが、ギリシア神話の神々の争いをテーマとした「アテネの学堂」を描いた。

Ⅰ④    (ヨーロッパの)文芸に関する記述    

フランスでは、モンテーニュが『哲学書簡』で人間の内面生活を考察した。

Ⅰ⑤    (ヨーロッパの)科学と技術に関する記述    

イタリアに7世紀に伝来した製紙法が普及し、情報伝達を大きく変化させた。

Ⅰ⑥    (ヨーロッパの)天文学に関する記述    

ジョルダーノ=ブルーノは、弾圧を恐れて死の直前まで地動説の公表を控えた。

 

Ⅱ①    インドの思想や宗教に関する記述    

ウパニシャッド哲学は、内面の思索よりも祭式の遵守を重視した。

Ⅱ②    マウリヤ朝に関する記述    

マガダ国の武将であったチャンドラグプタが、サーンチーを都として創始した。

Ⅱ➂    クシャーナ朝に関する記述    

アケメネス朝の圧迫を受けて衰亡した。

Ⅱ④    グプタ朝の時代に関する記述    

宮廷詩人のカーリダーサが『ラーマーヤナ』を著した。

Ⅱ⑤    ラージプート時代に関する記述    

「ラージプート」はバラモン身分の「王の子」を意味する。

Ⅱ⑥    南インドの諸王朝に関する記述    

ラーシュトラクータ朝は海上交易の発展を目指して南宋と通交した。

 

Ⅲ①    クリミア半島に関する記述    

黒海方面に進出したピョートル大帝が、クリミア半島を併合した。

Ⅲ②    ギリシアに関する記述    

ダヴィドは、ギリシア独立戦争を素材に「キオス島の虐殺」を描いた。

Ⅲ③    オスマン帝国の近代化政策に関する記述    

アブデュルメジト1世が中心となって帝国憲法が起草された。

Ⅲ④    ロシア=トルコ戦争後に開催されたベルリン会議に関する記述    

ブルガリア自治公国はロシアの保護国となった。

Ⅲ⑤    青年トルコ革命とその前後の出来事に関する記述    

イスタンブル青年将校たちが起こした無血革命である。

Ⅲ⑥    トルコにおける諸改革に関する記述    

第二次世界大戦後に女性参政権が認められた。

 

Ⅳ①    洪武帝に関する記述    

皇帝の権力強化のため、中書省を設置した。

Ⅳ②    永楽帝に関する記述    

『四庫全書』や『五経大全』を編纂させた。

Ⅳ➂    明代の社会や経済に関する記述    

後期には長江中流域にかわり、その下流域が米の主要産地となった。

Ⅳ④    清の太祖・太宗の治世に関する記述    

李自成の軍を破った。

Ⅳ⑤    康熙帝に関する記述  

 鄭成功を降伏させ、台湾を領土に組み込んだ。

Ⅳ⑥    乾隆帝に関する記述    

西洋諸国との貿易を上海一港に限定した。

 

Ⅴ①    イギリスと南アフリカとの関係に関する記述    

ケープ植民地首相のローズは、南アフリカ連邦を成立させた。

Ⅴ②    フランスとアフリカとの関係に関する記述    

ファショダ事件の解決後、フランスはチュニジア保護国とした。

Ⅴ➂    ベルギーとアフリカとの関係に関する記述    

コンゴ動乱でベルギーは今後首相のルムンバを支援した。

Ⅴ④    イタリアとアフリカとの関係に関する記述    

イタリアはソマリランドカメルーンを植民地とした。

Ⅴ⑤    サハラ以南のアフリカに関する記述    

ソンガイ王国はマンサ=ムーサのもとで北アフリカとの交易で栄えた。

Ⅴ⑥    アパルトヘイトに関する記述    

マンデラ大統領のもとで、黒人に対する差別法が全廃された。

 

関西学院    2025    学部個別(均等配点型2/6)    

Ⅰ①    ローマ皇帝に関する記述    

トラヤヌス帝はキリスト教を事実上、国教とした。

Ⅰ②    コンスタンティノープルに関する記述    

コンスタンティノープル公会議で、ネストリウス派が異端とされた。

Ⅰ➂    ローマ帝国に関する記述    

オドアケル東ローマ帝国の帝位を返上させた。

Ⅰ④    ガリアに関する記述    

アッピア街道でローマと結ばれた。

Ⅰ⑤    ゲルマン人に関する記述    

ストラボンが『ゲルマニア』で、大移動前のゲルマン人社会を描写した。

Ⅰ⑥    フン人に関する記述    

スラヴ語派に属する人々である。

 

Ⅱ①    イスラーム王朝の支配下イベリア半島に関する記述    

イブン=シーナーがアリストテレスの注釈書を著した。

Ⅱ②    スペイン王国に関する記述    

ジョアン2世はコロンブスの航海を支援した。

Ⅱ➂    ポルトガルに関する記述    

オスマン帝国により、ホルムズ島から駆逐された。

Ⅱ④    航海者に関する記述    

コロンブスは第1回航海でユカタン半島に上陸した。

Ⅱ⑤    中南米の先住民に関する記述    

銀山における採掘に先住民を駆り出すため、アシエントが導入された。

Ⅱ⑥    スペインが行った戦争に関する記述  

 無敵艦隊(アルマダ)がイギリス艦隊に勝利した。

 

Ⅲ①    ヨーロッパでの戦争に関する記述    

七年戦争の結果、オーストリアはシュレジエンを奪回した。

Ⅲ②    植民地での戦争に関する記述    

カーナティック戦争により、イギリス東インド会社ボンベイ管区が拡大した。

Ⅲ③    インドとイギリスの関係に関する記述    

イギリスが成立させたインド帝国では、全土が政府直轄領とされた。

Ⅲ④    大西洋三角貿易に関する記述    

黒人奴隷は、主としてケープ植民地から新大陸に送り出された。

Ⅲ⑤    イギリスの自由主義自由主義改革に関する記述    

ベンサムが「万人の万人に対する闘い」を標語とする功利主義を主張した。

Ⅲ⑥    イギリスの年と都市化に関する記述    

18世紀半ばには、都市人口が農村人口を上回った。

 

Ⅳ①    後漢に関する記述    

司馬遷が『史記』を編纂した。

Ⅳ②    中国の三国時代に関する記述    

魏の陳寿は、正史『三国志』を編纂した。

Ⅳ➂    北魏時代に関する記述    

武帝の時代に三長制が施行された。

Ⅳ④    東晋南朝時代の江南に関する記述    

褚遂良が優れた書を残し、後世に書聖と呼ばれた。

Ⅳ⑤    朝鮮半島に関する記述    

半島南部の加耶(加羅)諸国は、百済に滅ぼされた。

Ⅳ⑥    唐代の文化に関する記述    

蘇軾らが古文復興を主張した。

 

Ⅴ①    マゼラン(マガリャンイス)に関する記述    

マルク諸島の現地人との戦いで戦死した。

Ⅴ②    スペインが行った太平洋を横断する貿易に関する記述    

ペルーのアカプルコアメリカ大陸側の拠点であった。

Ⅴ➂    イギリスが進出したオセアニアに関する記述    

ニュージーランドでは、錫鉱山の労働者として移民が急増した。

Ⅴ④    西欧諸国のオセアニアへの進出に関する記述    

イタリアはフィジー諸島を獲得した。

Ⅴ⑥    第二次世界大戦後のオセアニアに関する記述    

オーストラリアはフィリピンやアメリカと太平洋安全保障条約を締結した。

 

 

関西学院    2025    学部個別(均等配点型2/7)    

Ⅰ①    古代の東地中海地域の文明に関する記述    

クレタ文明の線文字Aは、ヴェントリスらによって解読された。

Ⅰ②    古代ギリシアの演劇作家や詩人に関する記述    

アイスキュロスマラトンやザマの戦いに従軍した。

Ⅰ➂    プラトンに関する記述    

対話を重視したため著作を残さなかった。

Ⅰ④    古代ギリシアの学問に関する記述    

エウクレイデスは浮体の原理を発見した。

Ⅰ⑤    アリストテレスに関する記述    

「万物は流転する」と説いた。

Ⅰ⑥    古代ギリシアの美術や建築に関する記述  

 ペリクレスの指導でコリント式のパルテノン神殿が建てられた。

 

Ⅱ①    フランスの絶対王政に関する記述    

高等法院が王権強化を推進した。

Ⅱ②    イギリス(イングランド)に関する記述    

短期議会が解散された後、10年以上にわたって議会は開かれなかった。

Ⅱ➂    エリザベス1世に関する記述    

ケベック植民を建設して北米地域に進出した。

Ⅱ④    スコットランドに関する記述    

19世紀中頃の「ジャガイモ飢饉」で、多数の餓死者を出した。

Ⅱ⑤    ピューリタン革命とその前後に関する記述    

ホッブズは『統治二論』を著し、諸個人の契約による国家形成を説いた。

Ⅱ⑥    名誉革命とその前後に関する記述    

ウィレムは「権利の請願」に同意して、ウィリアム3世として即位した。

 

Ⅲ①    フランスのインドシナへの進出と支配に関する記述    

フエ条約により、ベトナムに対する保護権を清朝に認めさせた。

Ⅲ②    インドシナ戦争とその前後のベトナムに関する記述    

フランスは、バオダイを元首とするベトナム共和国を樹立した。

Ⅲ③    ベトナム戦争とその前後のベトナムに関する記述    

南ベトナムでは、アメリカの支援を受けたファン=ボイ=チャウが政権を掌握した。

Ⅲ④    カンボジアに関する記述    

中国に支援されたヘン=サムリンがカンボジアに侵攻して、新政権を樹立した。

Ⅲ⑤    ミャンマー(ビルマ)に関する記述    

タキン党を指導するアウン=サンが、独立戦争に勝利して独立を達成した。

Ⅲ⑥    マレー半島とマレーシアに関する記述    

シンガポールの分離独立後、北ボルネオのサバとサワラクがマレーシアに加わった。

 

Ⅳ①    中央ユーラシアに関する記述    

契丹に滅ぼされたウイグルの一部の西遷は、他のトルコ系遊牧民の移動を促した。

Ⅳ②    アッバース朝とその時代に関する記述    

預言者ムハンマドの直系子孫が反ウマイヤ朝運動を主導して建国した。            

Ⅳ➂    サーマーン朝に関する記述    

ホラズム=シャー朝によって滅ぼされた。

Ⅳ④    マムルークに関する記述    

ファーティマ朝マムルークがクーデタを起こし、マムルーク朝を樹立した。

Ⅳ⑤    ガズナ朝に関する記述   

ガズナ朝から独立した将軍がデリーを本拠地とする王朝を建設した。

Ⅳ⑥    セルジューク朝に関する記述    

スンナ派の学問の教学施設として主要都市にキャラバンサライを設立した。

 

Ⅴ①    19世紀末以降の清朝に関する記述  

 梁啓超の弟子、康有為を中心として戊戌変法を実施した。

Ⅴ②    アヘン戦争とその前後に関する記述    

この戦争の講和条約により、清と周辺諸国との冊封体制は解消された。

Ⅴ➂    太平天国に関する記述    

上海を占領して首都都とし、天京と改称した。

Ⅴ④    蒋介石に関する記述    

台湾に逃れた後、二・二八事件を引き起こした。

Ⅴ⑤    毛沢東に関する記述    

中華人民共和国首相を務めた。

Ⅴ⑥    中国共産党に関する記述  

コミンテルンへの反発から八・一宣言を出した。

 

以上です。

 

【大学受験】自分自身の浪人生時代の生活サイクルについて【大学受験体験記】

はい、どうもです。

 

 

4月に入って、もう4ヵ月が経とうとしています。

 

さて、今回は「浪人生の生活ってどんな感じなん?」という内容になっています。
ぜひご覧いただければと思います。

 

以下に書く内容は、自分自身の浪人時代の大学受験の経験談です。

 

かつて浪人生だった人の話を聞く機会はなかなか無いと思うので、改めて振り返っていきたいと思います。それでは、いきましょう。

 

 

 

(1) 「浪人」の決意

浪人を決意した人に言いたいことなのですが、自分自身で浪人を決意したら「その日」からもう「浪人生」という立場になります。

 

遊んでいる時間はありません。

 

決意をしたその日から受験勉強を開始する事です。

 

私自身、浪人生という立場をわきまえずに4月、5月はほとんど勉強せずにぶらぶらしてました。こうはならないように。浪人生としての時間は長いようで短いです。あっという間に来ます。

 

 


(2) 生活リズムを定着させるために考えたこと

①なんでも「可視化」することを心がける

6月から浪人生として真剣にバリバリと勉強を行ったわけですが、がむしゃらにやっていたというよりは割と「戦略的に」勉強をしていたように思います。
 

まず考えたのは、

「1日のうちどれくらいの時間を受験勉強に充てることが出来るか?」

これを考えていました。

 

今考えればおかしなことではあるのですが、私は学費を稼ぐために、週3~4日、昼間に飲食店でアルバイトをしていたので、自然と勉強に費やす時間は限られてくるという状況でした。

 

なので、まず考えたのは勉強に費やす時間の設定でした。

 

私たち人間には1日24時間という時間が与えられていますが、この時間内でどれだけの時間を勉強に費やすことが出来るかを表にして、可視化していました。

 

 

私たち人間にとって最低限必要な事を削って、残りの時間を勉強に費やすことにしました。例えば、

 

・睡眠時間:7時間

・朝昼晩ご飯:3時間

・サニタリー、休憩:2時間

・バイトがある日は:5時間

・合計:12時間(バイトの日は7時間)

 

甘めに見積もって、大体バイトがある日で7時間、バイトが無い日は12時間勉強に費やすことが出来ると分かりました。

 

なのであとは何を勉強するか?これに焦点を当てました。

 

 

 


(3) 勉強の習慣を定着させる

私の浪人時代の1日の大体の流れは以下の通りとなっていました。(私立文型向けの勉強時間のサイクルです。)

 

6:30  起床

7:00  英単語・英熟語の暗記

9:00  朝食

10:30 英語長文音読復習

11:30 英文法構文暗記

13:00 昼食

14:30 世界史の暗記

18:00 晩御飯

19:30 過去の英語長文音読復習

20:30 古典関連の勉強(or現代文の場合もあり)

22:00 風呂

22:30 世界史暗記

23:30 寝る

 

以上の時間設定はアルバイトが無い日と塾の授業が無いことを想定しての計画となっています。

 

塾の授業自体は週2回しかなかったですが、この復習と暗記作業が結構大変でした。

 

アルバイトがある日はだいたい5時間くらい削られるので、その日は英語を重点的に勉強しましたし、授業がある日は授業時間の2時間+復習に30分くらい取るので、古典の勉強を削ったりしていました。

 

9月までは、ほぼ毎日この習慣を崩さずに勉強を行って、10月からは赤本(過去問)をする必要があったので、出来ている勉強から時間を削って赤本を解いていきました。

 

 

この「勉強の習慣を定着させる」時に役に立ったのが、「記録を付ける」という事です。

 

なぜ浪人時代に、

「どのような勉強を」

「どのようなサイクルで」

回していたかが今も分かるのは、毎日自分が勉強した内容を記録していたからです。

 

自分で勉強をしていると思っていても、記録を付けて可視化することで1日の勉強に対しての反省をすることが出来ます。

 

1日1日があっという間に過ぎるので、浪人生については、必ず勉強を記録するようにしましょう。

 

 


(4) 最後に

これは受験生の皆さんに共通することでもあるのですが、いきなり勉強の習慣をつけたり、いきなり勉強時間を大幅に増やすことはできません。

 

最初は意識して習慣づけや勉強時間を刷り込ませる必要があります。

 

浪人生に対しては、この浪人生の1年間は長いと思いますが、本当にあっという間に終わります。

 

なので自分に妥協をせず、徹底的に勉強を行っていきましょう。

 


以上です。

自分自身の大学受験についての振り返り【大学受験体験記】(現役生編・浪人生編)

はい、どうもです。

 

仕事柄、自分自身の大学受験の事を話す機会が多いのですが、その時に話す内容を色々と共有することが出来ればと思い、今回記事にしました。

(誰得やねん、と思われるのは承知の上です。)

 

はい、ほな書いていきましょうか。

 

 

(1)「とりあえず甲南大学へ行きたい」だった高校時代

中学3年生の2学期の3者面談で、色々あって内申点を下げられてしまった私は、当時偏差値50を切るくらいの高校へ入学することになりました。

 

 

要は、「不本意な」高校入試の結果になりました。

 

 

この高校へ入学した時点で考えていたことは、「甲南大学へ行く」ということでした。

 

 

これは親戚に甲南大学出身の人や、甲南大学生の人がいたので色々話を聞いた結果、とりあえず志望校として設定しておりました。

 

不本意な高校入試でしたが、私にとっては高校の先生はめちゃめちゃ良い先生が多かった記憶があります。

 

部活動は、中学校の時に所属していた「やきう部」は辞めて、新しく陸上競技部に所属することになりました。

 


(2) 指定校推薦で甲南大学へ行くことを決意した高校1年生の秋

高校1年生の夏休みも明けて、部活の先輩方にある資料を見せてもらいました。それが指定校推薦で行くことが出来る大学と、そのための最低の評点が書いている紙でした。

 

あくまで最低の評点であり、校内推薦のため、より高い内申点を取る必要がありました。その当時、私の高校から甲南大学に指定校推薦に行くためには最低でも5段階で3.8以上を取る必要がありました。

 

内申点を取るためには中間テストや期末テストを頑張る必要があった為、定期テストもそこそこ頑張っていたような気がします。

 

 

ただ、それ以上に頑張っていた理由は大学への学費を手に入れるためですね。

 

 

奨学金制度を使って行くことを計画しており、これにも内申点が必要だったので。大学へ進学するためには、そこそこ頑張らないといけない状況におりました。

 

 


(3)「指定校推薦で甲南大学」が変わった高3の夏休み

1年生から2年生までは部活動中心の高校生活を送っていました。定期テストは直前のみ対策をするだけでした。

 

ただ、高校3年生になったので

「そろそろ大学受験のことを意識していかなければな」

と考えていました。

 

 

高校3年生前期(単位制の高校のため学期制ではなく前期後期制)の時点で、内申点はとりあえず甲南大学へは指定校推薦で合格できそうな評点は取っていました。

 

 

担任の先生にも確認を取って、去年のデータと照らし合わせると合格しそうだと、そういう風な感じだったと思います。

 

 

ただ、その当時大学入試のことはあまりよく分かっておらず、指定校推薦も受かる保証は無かったので、夏休みから高校受験の時にお世話になっていた某大手個別塾の夏期講習の英語だけ受講することになりました。

 

その時に担当してもらっていた講師の方が関西学院大学生でした。

 

その人からいろいろ話を伺っていたり、またその人に勧められて、8月に関西学院大学オープンキャンパスへ参加して、「関西学院大学へ行きたいな」と思うようになりました。

 

この高校3年生の夏休みが、自分にとって1つ目の大学受験のターニングポイントになりました。

 

 

 

(4)夏休み明けていよいよ指定校推薦の開示、だが...

さてそんな夏休みも明けて、私の志望校は「甲南大学関西学院大学」へ変更となりました。

 

夏休みに関西学院大学オープンキャンパスへ参加したり、個別塾で勉強しているうちに、自然と視点が変わっていきました。

 

とりあえず指定校推薦は関西学院大学に出してみよう、そんなことを考えておりました。

 

9月に入ると、いよいよ指定校推薦の開示が行われます。開示された資料を見て、焦りました。

 

なんと、

関西学院大学からの指定校推薦枠が無かった」のです。

 

 

どういうことかというと、関西学院大学から当時私の高校へ指定校推薦の枠の振り分けが無かったのです。(ちなみに今はあるようです。私も含めですが、後輩たちが頑張って指定校推薦枠を取ってきています。ありがたい話だと思います。当時は立命館大学関西大学は来ていましたが、関西学院大学同志社大学からは来ていませんでした。)

 


ここで迷いました。

 

 

夏休みに関西学院大学へ指定校推薦で行こうと思ったが、その枠が来なかったこと。

 

最初は指定校推薦で甲南大学へ行くという目標を立てていて、実際に自分が持っている評点を参考にしたら推薦は貰えそうだということ。

 

指定校推薦はそこで決まったら、それ以降すべて受験はできないこと。

 

さてどうしようか?と迷った結果、結局、「2月の一般入試で関西学院大学への合格を目指す」ことにしました。

 

これが3年生の9月でした。ここが大学受験の第2のターニングポイントだったと思います。

 

ここから残り4ヵ月、毎日必死に勉強していました。普通高校3年生の9月というと、部活動は引退しているのがほとんどだと思いますが、私は10月まで部活をしていたので、それ以外の時間は必ず勉強するようにはしていました。

 

最後の試合も10月で終わり、部活動引退。いよいよ大学入試へ向けて、ラストスパートをかけて追い込んでいきました。

 

 

 

(4) 結果は結局「最初に自分が思っていた大学」へ合格

一般入試が2月から始まりました。受験した大学は甲南大学と、関西学院大学でした。結果だけお伝えすれば、

 

関西学院大学は「不合格」、甲南大学は「合格」でした。

 

なのでこのままであれば、甲南大学生、つまり現役で大学生になっていたと思います。

 

さて、ここで迷いました。

 

甲南大学生になるのが良いのか?それとも自分の志望校であった関西学院大学を受験するために、蹴って浪人をするか?

 

普通に考えたら、多分ほとんどの人は大学生になる事を選ぶと思います。

 

ただ、私はのちに1年間「浪人」という選択肢を選ぶことになっています。

つまり、大学生になるという選択をこの時点では取らなかったということです。

 

ここが現役生の時の大学入試の第3のターニングポイントだったと思います。

 

4月、私は晴れて「大学生」ではなく「浪人生」として春を迎えることになりました。

 

 

(5) 浪人時代の幕開け

甲南大学生になるのが良いのか?

それとも自分の志望校であった関西学院大学を受験するために、浪人をするか?

を最後まで迷っていました。

 

普通に考えたら、多分ほとんどの人は大学生になる事を選ぶと思います。

 

ただ結果的に4月、私は晴れて「大学生」ではなく「浪人生」として春を迎えることになりました。

 

ここで終わっていたと思うのでこの続きからとなります。

 

 

 

(6) 早速塾探しをすることに

宅浪という選択肢は無かったので、塾を探すところから始めました。

 

確か新聞の広告に入っていたとある塾のチラシを見つけて、電話で説明会への参加申し込みをして、入塾説明会を聞きに行って入塾しました。

 

入塾したのはいわゆる普通の浪人生が通うような 東進衛星予備校とか駿台予備校とか代々木ゼミナールであるとか河合塾といった大手予備校ではなく、普通の塾に通うことになりました。

 


なぜ大手に行かなかったのか?

 

 

端的に言えば、お月謝が安かった、それにつきます。

 

あとは自分自身が勉強していく上で最低限の環境は整っていると感じたので、その塾にした記憶があります。

 

勉強というのは自分でやらなければいけないと思っていたし、特に浪人生という事もあり、徹底的に勉強をしたかったので選んだような気がします。

 

 

さて塾も選び、「浪人生時代」の幕開けとなります。

 

 

 

(7) 浪人生活がスタートしたが...

さて4月に入塾して、

「浪人したから最初からゴリゴリ勉強してたんだよね?」

と思われている人も多いかもしれません。最初はほとんど勉強していなかったような気がします。

 

 

4月・5月あたりはまだ私自身、浪人生としての自覚が無く、勉強に集中していなかったのでは無いかと当時を振り返って思います。本当にフラフラしていたと思います。

 

 

 

(8) 浪人生としての意識が変わった6月

浪人生としての意識が変わったのは、6月に入る前くらいだったと思います。

 

通っていた塾では、テストの点数の順位を付けたランキングがありました。これは、勉強するときのモチベーションに繋がっていました。

 

なぜ、6月に勉強の認識が変わったかというと、浪人生クラスはこの当時AクラスとBクラスがあり、このランキングに沿って、課題のある生徒をBクラスにするというクラス編成を行っていました。

 

そのBクラスに私が入ってしまったのです。

 

言い換えれば、ほとんど勉強もせずフラフラしていたので復習テストも点数を取ることが出来ないという状況で、AクラスからBクラスに落ちてしまったという事です。
 

 

これには自分自身ものすごく焦りました。

 

この6月でBクラスを抜けるために勉強をしました。

 

ある意味、勉強のやる気スイッチがこの段階で入ったという感じです。
 

 

さて6月末、心を入れ替えて勉強した結果、点数が取れ始めたので、またAクラスへ戻って授業を受ける事になりました。
 

ランキング制度があることで、勉強に対するモチベ―ションに繋がったと思います。

 

 

(9) ランキングを意識し、点数が取れ始めた7月~10月

さてAクラスへ戻って授業を受け続けていたわけですが、明らかに実力テストなどの点数が良くなってきました。

 

これは塾の基準点を軽くクリアして、順調に勉強を続けることが出来ていたからだと思っています。

 

この点数をクリアすることで、着実に英語の実力を上げていくことが出来ました。

 

10月くらいにランキング上位に名前を載せることが出来る様になってきていました。

 

浪人生として4月から勉強を始めて半年経った段階で実力が上がったなと実感できました。

 

 

(10) 11月のとある模試で偏差値70を超える

11月に入ってとある塾が開催していた「関関同立模試」を受けに行きました。

 

受ける母体が主に関関同立志願者で構成されているため、より正確な点数や偏差値が出やすい模試となっています。

 

この模試で、英語と世界史の偏差値が70を少し超えることが出来ました。

 

この偏差値70というのは、現役生の時にはとてもではありませんが考えられない数字でした。
 

となると、勉強はここまで順調に行っているわけですから、後は志望校の過去問を解きまくって、徹底的に対策をするのみとなります。

 

 


(11) 赤本(過去問)を詰める12月

赤本を詰める12月とは書いていますが、すでに10月末から少しずつ解いてはいました。
 
 
12月に入って本格的に過去問を解く必要があった為、解いては見直し、復習を進めていきました。

さて、クリスマス・年末年始と世間はお祭りムードではありましたが、そんなものは受験生、特に浪人生には関係ないぞという気持ちで過ごし、いよいよ私立入試がスタートしました。

 

 


(12) 2月、私立入試開幕

1月に行われるセンター試験(現:共通試験)は受験しませんでした。なぜなら私立大学のみ受験する私にとって当時のセンター試験を受けるメリットが全くなかったからです。

 

これは戦略です。受験する必要もない、対策も一切していない試験をわざわざ受けに行って変な点数を取って落ち込んだり、風邪やインフルエンザを移されたら、それこそ本命とする2月の私立入試を万全の状態で受験することが出来ないと考えていました。

 

なのでこの日は家でゆっくりしておりました。
 

 

さて、2月1日からいよいよ私立大学の入試が始まりました。

第1志望を同志社大学

第2志望を関西学院大学

に設定して受験をしました。
 

 

滑り止め大学を受けることはありませんでした。

 

 

今思えば相当リスキーなことをしていたなと思いますが、現役生の時に合格していた大学をわざわざ受けに行く必要はないと当時は考えていたので、この背水の陣の戦略を取りました。
 
全日程が終了した時の爽快感・達成感は今でも覚えています。

 

結果としては同志社大学の経済学部に合格したため、これで浪人生活は終わりました。

 

 

 

(13) 最後にこれを読んでいる皆様へ

さて、どうでしたでしょうか?

 

浪人生時代を思い返しながら文字を打ち込んでいましたが、浪人生時代に戻りたいかと言われれば、「二度と戻りたくない」と答えます(笑)

 

それくらいこの1年は大変だったなと今思い返してもそう感じます。

 


以上です。

関西大学の補欠合格ってどのような感じになっているのか?

はい、どうもです。

 

2月7日に関西大学の一般入試が終了しました。合格発表まで緊張しますね。

 

さて、今回は関西大学の「補欠合格」についてです。

 

 

 

(1)そもそもなぜ補欠合格があるのか?

関西大学にはいわゆる後期日程というものはなく、2月1日~2月3日と2月5日~2月7日の前期日程が終了すると、それ以降の試験はありません(共通テスト利用を除く)。なので、関西大学の場合は、2月1日~2月3日と2月5日~2月7日に行われる前期日程で入学者を最終決定しなくてはいけません。その前には指定校推薦、AO入試、内部進学などですでに合格している高校生もいると思いますが、全生徒の人数は前期日程で全て確定します。

 

そして、関西大学が出した合格者全員が本当にそのまま入学すれば、補欠合格を出さなくても良いのですが、残念ながら話はそう簡単ではありません。

 

関西大学など私立入試を受験する場合は受験戦略上複数学部を受験する場合が多いです。

 

複数学部合格しても合格者が進学できる学部は「1つ」です。という事は枠が空きます。

 

また別の私立大学を受験していたり、国公立大学を受験していて、その大学に合格した時、その私立大学や国公立大学に進学する場合、これも関西大学の枠が空くという事になります。

 

つまり、入学者がその分減るという事になります。


もちろん関西大学もそれを予測して合格者を出しています。その証拠に募集人数よりははるかに多くの受験生に合格を与えています。なぜなら、辞退する人数を見越して多めに合格者を出すからです。

 

毎年関西大学が想定している入学者に満たないこともあります。なので、合格最低点にほんの少し届かなかった受験生を「補欠合格者」として確保しているという事です。

 

次に、何人追加合格しているのかを見てみましょう。

 

 

 

(2)関西大学の追加合格者数(過去4年分)

①2021年度(文系)

(補欠者数→補欠合格者数(%))

法学部 377人→377人(100%)

文学部 304人→203人(66%)

経済学部 501人→121人(24%)

商学部 301人→301人(100%)

社会学部 337人→301人(89%)

政策創造学部 119人→77人(64%)

国語学部 62人→62人(100%)

人間健康学部 195人→180人(92%)

総合情報学部 59人→59人(100%)

社会安全学部 164人→6人(34%)

 

②2022年度(文系)

(補欠者数→補欠合格者数(%))

法学部 329人→0人(0%)

文学部 396人→72人(18%)

経済学部 327人→327人(100%)

商学部 386人→0人(0%)

社会学部 317人→217人(68%)

政策創造学部 121人→121人(100%)

国語学部 141人→97人(68%)

人間健康学部 186人→162人(87%)

総合情報学部 233人→0人(0%)

社会安全学部 156人→0人(0%)

 

➂2023年度(文系)

(補欠者数→補欠合格者数(%))

法学部 496人→111人(22%)

文学部 390人→75人(19%)

経済学部 460人→69人(15%)

商学部 500人→0人(0%)

社会学部 299人→226人(75%)

政策創造学部 364人→19人(5%)

国語学部 112人→57人(50%)

人間健康学部 257人→48人(18%)

総合情報学部 219人→0人(0%)

社会安全学部 163人→0人(0%)

 

④2024年度(文系)

(補欠者数→補欠合格者数(%))

法学部 427人→49人(11%)

文学部 391人→0人(0%)

経済学部 378人→0人(0%)

商学部 354人→0人(0%)

社会学部 404人→0人(0%)

政策創造学部 103人→103人(100%)

国語学部 69人→69人(100%)

人間健康学部 247人→95人(38%)

総合情報学部 250人→107人(42%)

社会安全学部 139人→0人(0%)

 

 

 

(3)参考資料元のURL

https://www.nyusi.kansai-u.ac.jp/admission/general/

(入試試験データの2024年・2023年・2022年・2021年を参考にいたしました)

 

 

 

(4)2025年の補欠合格者の発表日

1回目:2/28(金)

2回目:3/25(火)

となっています。

 

 

以上です。