- (1)「とりあえず甲南大学へ行きたい」だった高校時代
- (2) 指定校推薦で甲南大学へ行くことを決意した高校1年生の秋
- (3)「指定校推薦で甲南大学」が変わった高3の夏休み
- (4)夏休み明けていよいよ指定校推薦の開示、だが...
- (4) 結果は結局「最初に自分が思っていた大学」へ合格
- (5) 浪人時代の幕開け
- (6) 早速塾探しをすることに
- (7) 浪人生活がスタートしたが...
- (8) 浪人生としての意識が変わった6月
- (9) ランキングを意識し、点数が取れ始めた7月~10月
- (10) 11月のとある模試で偏差値70を超える
- (11) 赤本(過去問)を詰める12月
- (12) 2月、私立入試開幕
- (13) 最後にこれを読んでいる皆様へ
はい、どうもです。
仕事柄、自分自身の大学受験の事を話す機会が多いのですが、その時に話す内容を色々と共有することが出来ればと思い、今回記事にしました。
(誰得やねん、と思われるのは承知の上です。)
はい、ほな書いていきましょうか。
(1)「とりあえず甲南大学へ行きたい」だった高校時代
中学3年生の2学期の3者面談で、色々あって内申点を下げられてしまった私は、当時偏差値50を切るくらいの高校へ入学することになりました。
要は、「不本意な」高校入試の結果になりました。
この高校へ入学した時点で考えていたことは、「甲南大学へ行く」ということでした。
これは親戚に甲南大学出身の人や、甲南大学生の人がいたので色々話を聞いた結果、とりあえず志望校として設定しておりました。
不本意な高校入試でしたが、私にとっては高校の先生はめちゃめちゃ良い先生が多かった記憶があります。
部活動は、中学校の時に所属していた「やきう部」は辞めて、新しく陸上競技部に所属することになりました。
(2) 指定校推薦で甲南大学へ行くことを決意した高校1年生の秋
高校1年生の夏休みも明けて、部活の先輩方にある資料を見せてもらいました。それが指定校推薦で行くことが出来る大学と、そのための最低の評点が書いている紙でした。
あくまで最低の評点であり、校内推薦のため、より高い内申点を取る必要がありました。その当時、私の高校から甲南大学に指定校推薦に行くためには最低でも5段階で3.8以上を取る必要がありました。
内申点を取るためには中間テストや期末テストを頑張る必要があった為、定期テストもそこそこ頑張っていたような気がします。
ただ、それ以上に頑張っていた理由は大学への学費を手に入れるためですね。
奨学金制度を使って行くことを計画しており、これにも内申点が必要だったので。大学へ進学するためには、そこそこ頑張らないといけない状況におりました。
(3)「指定校推薦で甲南大学」が変わった高3の夏休み
1年生から2年生までは部活動中心の高校生活を送っていました。定期テストは直前のみ対策をするだけでした。
ただ、高校3年生になったので
「そろそろ大学受験のことを意識していかなければな」
と考えていました。
高校3年生前期(単位制の高校のため学期制ではなく前期後期制)の時点で、内申点はとりあえず甲南大学へは指定校推薦で合格できそうな評点は取っていました。
担任の先生にも確認を取って、去年のデータと照らし合わせると合格しそうだと、そういう風な感じだったと思います。
ただ、その当時大学入試のことはあまりよく分かっておらず、指定校推薦も受かる保証は無かったので、夏休みから高校受験の時にお世話になっていた某大手個別塾の夏期講習の英語だけ受講することになりました。
その時に担当してもらっていた講師の方が関西学院大学生でした。
その人からいろいろ話を伺っていたり、またその人に勧められて、8月に関西学院大学のオープンキャンパスへ参加して、「関西学院大学へ行きたいな」と思うようになりました。
この高校3年生の夏休みが、自分にとって1つ目の大学受験のターニングポイントになりました。
(4)夏休み明けていよいよ指定校推薦の開示、だが...
さてそんな夏休みも明けて、私の志望校は「甲南大学→関西学院大学」へ変更となりました。
夏休みに関西学院大学のオープンキャンパスへ参加したり、個別塾で勉強しているうちに、自然と視点が変わっていきました。
とりあえず指定校推薦は関西学院大学に出してみよう、そんなことを考えておりました。
9月に入ると、いよいよ指定校推薦の開示が行われます。開示された資料を見て、焦りました。
なんと、
「関西学院大学からの指定校推薦枠が無かった」のです。
どういうことかというと、関西学院大学から当時私の高校へ指定校推薦の枠の振り分けが無かったのです。(ちなみに今はあるようです。私も含めですが、後輩たちが頑張って指定校推薦枠を取ってきています。ありがたい話だと思います。当時は立命館大学や関西大学は来ていましたが、関西学院大学や同志社大学からは来ていませんでした。)
ここで迷いました。
夏休みに関西学院大学へ指定校推薦で行こうと思ったが、その枠が来なかったこと。
最初は指定校推薦で甲南大学へ行くという目標を立てていて、実際に自分が持っている評点を参考にしたら推薦は貰えそうだということ。
指定校推薦はそこで決まったら、それ以降すべて受験はできないこと。
さてどうしようか?と迷った結果、結局、「2月の一般入試で関西学院大学への合格を目指す」ことにしました。
これが3年生の9月でした。ここが大学受験の第2のターニングポイントだったと思います。
ここから残り4ヵ月、毎日必死に勉強していました。普通高校3年生の9月というと、部活動は引退しているのがほとんどだと思いますが、私は10月まで部活をしていたので、それ以外の時間は必ず勉強するようにはしていました。
最後の試合も10月で終わり、部活動引退。いよいよ大学入試へ向けて、ラストスパートをかけて追い込んでいきました。
(4) 結果は結局「最初に自分が思っていた大学」へ合格
一般入試が2月から始まりました。受験した大学は甲南大学と、関西学院大学でした。結果だけお伝えすれば、
なのでこのままであれば、甲南大学生、つまり現役で大学生になっていたと思います。
さて、ここで迷いました。
甲南大学生になるのが良いのか?それとも自分の志望校であった関西学院大学を受験するために、蹴って浪人をするか?
普通に考えたら、多分ほとんどの人は大学生になる事を選ぶと思います。
ただ、私はのちに1年間「浪人」という選択肢を選ぶことになっています。
つまり、大学生になるという選択をこの時点では取らなかったということです。
ここが現役生の時の大学入試の第3のターニングポイントだったと思います。
4月、私は晴れて「大学生」ではなく「浪人生」として春を迎えることになりました。
(5) 浪人時代の幕開け
甲南大学生になるのが良いのか?
それとも自分の志望校であった関西学院大学を受験するために、浪人をするか?
を最後まで迷っていました。
普通に考えたら、多分ほとんどの人は大学生になる事を選ぶと思います。
ただ結果的に4月、私は晴れて「大学生」ではなく「浪人生」として春を迎えることになりました。
ここで終わっていたと思うのでこの続きからとなります。
(6) 早速塾探しをすることに
宅浪という選択肢は無かったので、塾を探すところから始めました。
確か新聞の広告に入っていたとある塾のチラシを見つけて、電話で説明会への参加申し込みをして、入塾説明会を聞きに行って入塾しました。
入塾したのはいわゆる普通の浪人生が通うような 東進衛星予備校とか駿台予備校とか代々木ゼミナールであるとか河合塾といった大手予備校ではなく、普通の塾に通うことになりました。
なぜ大手に行かなかったのか?
端的に言えば、お月謝が安かった、それにつきます。
あとは自分自身が勉強していく上で最低限の環境は整っていると感じたので、その塾にした記憶があります。
勉強というのは自分でやらなければいけないと思っていたし、特に浪人生という事もあり、徹底的に勉強をしたかったので選んだような気がします。
さて塾も選び、「浪人生時代」の幕開けとなります。
(7) 浪人生活がスタートしたが...
さて4月に入塾して、
「浪人したから最初からゴリゴリ勉強してたんだよね?」
と思われている人も多いかもしれません。最初はほとんど勉強していなかったような気がします。
4月・5月あたりはまだ私自身、浪人生としての自覚が無く、勉強に集中していなかったのでは無いかと当時を振り返って思います。本当にフラフラしていたと思います。
(8) 浪人生としての意識が変わった6月
浪人生としての意識が変わったのは、6月に入る前くらいだったと思います。
通っていた塾では、テストの点数の順位を付けたランキングがありました。これは、勉強するときのモチベーションに繋がっていました。
なぜ、6月に勉強の認識が変わったかというと、浪人生クラスはこの当時AクラスとBクラスがあり、このランキングに沿って、課題のある生徒をBクラスにするというクラス編成を行っていました。
そのBクラスに私が入ってしまったのです。
言い換えれば、ほとんど勉強もせずフラフラしていたので復習テストも点数を取ることが出来ないという状況で、AクラスからBクラスに落ちてしまったという事です。
これには自分自身ものすごく焦りました。
この6月でBクラスを抜けるために勉強をしました。
ある意味、勉強のやる気スイッチがこの段階で入ったという感じです。
さて6月末、心を入れ替えて勉強した結果、点数が取れ始めたので、またAクラスへ戻って授業を受ける事になりました。
ランキング制度があることで、勉強に対するモチベ―ションに繋がったと思います。
(9) ランキングを意識し、点数が取れ始めた7月~10月
さてAクラスへ戻って授業を受け続けていたわけですが、明らかに実力テストなどの点数が良くなってきました。
これは塾の基準点を軽くクリアして、順調に勉強を続けることが出来ていたからだと思っています。
この点数をクリアすることで、着実に英語の実力を上げていくことが出来ました。
10月くらいにランキング上位に名前を載せることが出来る様になってきていました。
浪人生として4月から勉強を始めて半年経った段階で実力が上がったなと実感できました。
(10) 11月のとある模試で偏差値70を超える
11月に入ってとある塾が開催していた「関関同立模試」を受けに行きました。
受ける母体が主に関関同立志願者で構成されているため、より正確な点数や偏差値が出やすい模試となっています。
この模試で、英語と世界史の偏差値が70を少し超えることが出来ました。
この偏差値70というのは、現役生の時にはとてもではありませんが考えられない数字でした。
となると、勉強はここまで順調に行っているわけですから、後は志望校の過去問を解きまくって、徹底的に対策をするのみとなります。
(11) 赤本(過去問)を詰める12月
赤本を詰める12月とは書いていますが、すでに10月末から少しずつ解いてはいました。
12月に入って本格的に過去問を解く必要があった為、解いては見直し、復習を進めていきました。
さて、クリスマス・年末年始と世間はお祭りムードではありましたが、そんなものは受験生、特に浪人生には関係ないぞという気持ちで過ごし、いよいよ私立入試がスタートしました。
(12) 2月、私立入試開幕
1月に行われるセンター試験(現:共通試験)は受験しませんでした。なぜなら私立大学のみ受験する私にとって当時のセンター試験を受けるメリットが全くなかったからです。
これは戦略です。受験する必要もない、対策も一切していない試験をわざわざ受けに行って変な点数を取って落ち込んだり、風邪やインフルエンザを移されたら、それこそ本命とする2月の私立入試を万全の状態で受験することが出来ないと考えていました。
なのでこの日は家でゆっくりしておりました。
さて、2月1日からいよいよ私立大学の入試が始まりました。
第1志望を同志社大学
第2志望を関西学院大学
に設定して受験をしました。
滑り止め大学を受けることはありませんでした。
今思えば相当リスキーなことをしていたなと思いますが、現役生の時に合格していた大学をわざわざ受けに行く必要はないと当時は考えていたので、この背水の陣の戦略を取りました。
全日程が終了した時の爽快感・達成感は今でも覚えています。
結果としては同志社大学の経済学部に合格したため、これで浪人生活は終わりました。
(13) 最後にこれを読んでいる皆様へ
さて、どうでしたでしょうか?
浪人生時代を思い返しながら文字を打ち込んでいましたが、浪人生時代に戻りたいかと言われれば、「二度と戻りたくない」と答えます(笑)
それくらいこの1年は大変だったなと今思い返してもそう感じます。
以上です。