Kinoshitaのit's showtime Blog

嫉妬すら追いつかない 憧れすら届かない

受験に出るかもしれない世界史-「核軍縮の進展」編

はい、どうもです。

 


ここでは、定期テストや大学受験で出題されるであろう内容をまとめております。

 


今回は「核軍縮の進展」編です。
それでは見ていきましょう。

 





ラッセル・アインシュタイン宣言(1955)
バートランド=ラッセル(英)とアインシュタインが中心となり、核兵器廃絶と戦争反対を訴える

パグウォッシュ会議(1957)
・カナダのパグウォッシュで開かれた、核兵器の脅威や科学者の責任を議題とする会議

部分的核実験禁止条約(1963)
・参加国:アメリカ・イギリス・ソ連がモスクワで調印
・地下実験を除いてすべての核実験を禁止を決めたが、フランス・中国は参加せず

核拡散防止条約(NPT)(1968)
NPTTreaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons
アメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国以外の核保有を禁止した条約

第1次戦略兵器制限交渉(SALT Ⅰ)(1969~1972)
SALT ⅠStrategic Arms Limitation Talks
・米ソ間の戦略核兵器軍縮交渉
・参加者:ブレジネフ(ソ連)とニクソン(アメリカ)
大陸間弾道ミサイルと潜水艦発射弾道ミサイルを当時の水準で凍結することに合意

第2次戦略兵器制限交渉(SALT Ⅱ)(1972~1979)
SALT ⅡStrategic Arms Limitation Talks
・戦略兵器の性能向上に伴って行われた米ソ間の軍縮交渉
戦略核兵器の発射台数やミサイルに搭載する核弾頭の数の上限を決めた
→合意の半年後にソ連アフガニスタンに侵攻したため、アメリカは批准せず

⑦ 核戦争防止協定(1973)
ニクソン(アメリカ)とブレジネフ(ソ連)が締結し、核戦争の危険を回避することに合意

中距離核戦力(INF)全廃条約(1987)
INFIntermediate range Nuclear Forces
レーガン(アメリカ)とゴルバチョフ(ソ連)の間で署名された核軍縮条約

第1次戦略兵器削減条約(START Ⅰ)(1991)
START ⅠStrategic Arms Reduction Treaty
・参加者:ブッシュ(父)(アメリカ)とゴルバチョフ(ソ連)
戦略核運搬手段と核弾頭を削減することを決定

第2次戦略兵器削減条約(START Ⅱ)(1993)
START ⅡStrategic Arms Reduction Treaty
・参加者:ブッシュ(父)(アメリカ)とエリツィン(ロシア)
・核弾頭を3000~3500発ずつに抑える事を決定
アメリカは批准せず、2003年のアメリカ・ロシア間の戦略攻撃能力削減条約によってこの条約自体が実施されず

包括的核実験禁止条約(CTBT)(1996)
CTBTComprehensive nuclear Test Ban Treaty
・国連総会で採択された、地下実験を含むすべての核実験を禁止する条約
イギリス・フランス・ロシアは批准
アメリカ・中国・インド・パキスタンイスラエル北朝鮮などの批准が現段階では必要

受験に出るかもしれない世界史-「パリ条約」編

はい、どうもです。

 

 

ここでは、定期テストや大学受験で出題されるであろう内容をまとめております。

 

 

今回は「パリ条約」編です。
それでは見ていきましょう。

 

 

(1)七年戦争フレンチ=インディアン戦争の「パリ条約」(1763)
①内容
・イギリスはフランスから、カナダ・ミシシッピ川以東のルイジアナセネガル
 スペインからフロリダを獲得
・スペインはフランスから、ミシシッピ川以西のルイジアナを獲得

(2)アメリカ独立戦争の「パリ条約」(1783)
①内容
・イギリスはアメリカの独立を承認
アメリカはイギリスから、ミシシッピ川以東のルイジアナを獲得

(3)クリミア戦争の「パリ条約」(1856)
①内容
オスマン帝国の領土保全
黒海の中立化→ロシアの軍事基地保有と軍艦航行の禁止
・ロシアのベッサラビア放棄
ドナウ川の自由航行

(4)パリ協定(1954)
①内容
・西ドイツの主権回復が認められた
・1955年に発効し、西ヨーロッパ連合条約(イギリス・フランス・ベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルクが結んだ条約))への参加を決定

(5)ベトナム戦争の「パリ(ベトナム)和平協定」(1973)
①内容
ベトナム戦争の停戦とアメリカの撤退を決定

(6)パリ協定(2015)
①内容
・国連気候変動枠組み条約第21回締結会議(COP21)で採択された地球温暖化防止のための枠組み
・21世紀後半に温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする目標を掲げる

受験に出るかもしれない世界史-「第二次世界大戦中の会談」編

はい、どうもです。

 


ここでは、定期テストや大学受験で出題されるであろう内容をまとめております。

 


今回は「第二次世界大戦中の会談」編です。
それでは見ていきましょう。

 

 

大西洋上会談(1941.8)
・参加者:ローズヴェルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)
大西洋憲章発表
→内容:領土不拡大・領土不変更・民族自決・貿易の機会均等・労働や生活環境改善・軍備縮小・海洋の自由・国際安全保障の確立

カサブランカ会談(1943.1)
・参加者:ローズヴェルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)
対ドイツ作戦や処理方針を決定

カイロ会談(1943.11)
・参加者:ローズヴェルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)・蒋介石(中華民国)
対日戦後処理方針決定

テヘラン会談(1943.11)
・参加者:ローズヴェルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)・スターリン(ソ連)
北フランス上陸作戦(ノルマンディー上陸)の実行
 ソ連のドイツ降伏後の対日参戦を約束

ヤルタ会談(1945.2)
・参加者:ローズヴェルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)・スターリン(ソ連)
・枢軸国の扱いなどの戦後処理を議論
ドイツの共同管理と戦争犯罪の裁判
ソ連の対日参戦と南樺太と千島の占領を合意(秘密協定)

ポツダム会談(1945.7)
・参加者:トルーマン(アメリカ)・チャーチル(途中からアトリー)(イギリス)・スターリン(ソ連)
ドイツの戦後処理と日本の降伏条件や戦後処理

 

 

以上です。

受験に出るかもしれない世界史-「対仏大同盟の結成と崩壊」編

はい、どうもです。

 


ここでは、定期テストや大学受験で出題されるであろう内容をまとめております。

 


今回は「対仏大同盟の結成と崩壊」編です。それでは見ていきましょう。

 

 

(1)第1回対仏大同盟(1793~1797)
①結成
フランス国王ルイ16世の処刑とフランスのベルギー進出
・イギリス首相ピットが提唱
・イギリス・オーストリアプロイセン・スペイン・オランダ・サルデーニャなどが参加した対仏軍事同盟
②崩壊
・フランス(総裁政府時代)のナポレオン指揮によるイタリア遠征(1796~1797)でオーストリアとイタリア諸勢力を撃破
カンポ=フォルミオの和約(1797)で崩壊

 

(2)第2回対仏大同盟(1799~1802)
①結成
ナポレオンのエジプト遠征(1798~1799)
・イギリス首相ピットが提唱
・イギリス・ロシア・オーストリアオスマン帝国両シチリア王国ポルトガルが参加した対仏軍事同盟
②崩壊
・フランスが、オーストリアとリュネビル条約、イギリスとアミアンの和約を締結したことで崩壊

 

(3)第3回対仏大同盟(1805)
①結成
ナポレオンの皇帝即位(1804)→第一帝政
・イギリス首相ピットが提唱
・イギリス・ロシア・オーストリアなどが参加した対仏軍事同盟
②崩壊
アウステルリッツの戦い(三帝会戦)(1805)によるフランスの勝利
 フランス(ナポレオン1世
                    vs
   ロシア(アレクサンドル1世)・オーストリア(神聖ローマ皇帝フランツ2世)
プレスブルクの和約で崩壊

 

以上です。

受験に出るかもしれない世界史-「ミシシッピ川以東・以西のルイジアナ」編

はい、どうもです。

 

ここでは、定期テストや大学受験で出題されるであろう内容をまとめております。

 

今回は「ミシシッピ川以東・以西のルイジアナ」編です。それでは見ていきましょう。

 

 

(1)ルイジアナの成立(1682)
ミシシッピ川流域のフランス植民地
②探検したラ=サールがフランスによる領有を宣言し、ルイ14世の名にちなんでルイジアナと名付ける

 

(2)七年戦争フレンチ=インディアン戦争講和条約であるパリ条約(1763)の領土分割で、ミシシッピ川以東のルイジアナミシシッピ川以西のルイジアナに分かれる。以下は以東と以西での領土の変更をまとめました。

 

ミシシッピ川以東のルイジアナ

・フランス
↓ 七年戦争・フレンチ=インディアン戦争のパリ条約(1763)
・イギリス
↓ アメリカ独立戦争のパリ条約(1783)
アメリ

 

ミシシッピ川以西のルイジアナ

・フランス
↓ 七年戦争・フレンチ=インディアン戦争のパリ条約(1763)
・スペイン
↓ スペインを支配したフランス(統領政府時代のナポレオン)が、
↓ サン=イルデフォンソ条約(1800)で返還させる
・フランス
↓ アメリカ大統領ジェファソンがフランス(統領政府時代のナポレオン)から1500万ドルで購入
↓  
アメリ

 

以上です。

受験に出るかもしれない世界史-「EU(ヨーロッパ連合)成立までの流れ」編

はい、どうもです。

 

ここでは、定期テストや大学受験で出題されるであろう内容をまとめております。

今回は「EU(ヨーロッパ連合)成立までの流れ」編です。
それでは見ていきましょう。

 

 

マーシャル=プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)(1947)
共産主義化防止のため、アメリカの援助によるヨーロッパの経済復興計画

マーシャル=プランによるアメリカからの援助資金を受け入れるために、
欧州経済協力機構(OEEC)設立(1948)
OEECOrganization for European Economic Cooperation

ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)(1952)
ECSCEuropean Coal and Steel Community
経済学者ジャン=モネの策を受け、フランスのシューマン外相が提唱し発足
フランス・西ドイツ・ベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)・イタリアの間で、石炭・鉄鋼業の共同運営を約束

③ローマ条約(1957)
フランス・西ドイツ・ベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)・イタリアの間で、以下2つの設立に合意した条約

ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)(1958)
EURATOMEuropean Atomic Energy Community
原子力の平和利用を共同で研究するために設立
ヨーロッパ経済共同体(EEC)(1958)
EECEuropean Economic Community
加盟国相互の資本・労働力移動の自由化
↔このEECに対抗して、イギリスを中心にデンマークノルウェースウェーデンオーストリア・スイス・ポルトガルとともに、ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)結成(1960)
EFTAEuropean Free Trade Association

上記3つの組織(ECSC・EURATOM・EEC)を統合しヨーロッパ共同体(EC)成立(1967)
ECEuropean Communities
大市場の形成による経済の復興とヨーロッパの復権を目指す

イギリス・アイルランドデンマークのEC加盟→拡大EC(1973)

ギリシア加盟(1981)

スペイン・ポルトガル加盟(1986)

マーストリヒト条約(1992)→ヨーロッパ連合(EU)の発足
EUEuropean Union

スウェーデンフィンランドオーストリア加盟(1995)

決済通貨としてユーロ導入(1999)(20世紀)

一般市民取引で統一通貨ユーロの使用開始(2002)(21世紀)

 

以上です。

 

MDC(Middle Distance Circuit)(800m)に出場してきました(レース回顧)

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はい、どうもです。

 

10月15日(土)に神戸市のユニバー記念競技場で行われた、MDC(Middle Distance Circuit)の800mに出場してきました。

このレース回顧を行っていきます。
先に結果だけ書いておくと


800m→2'08"87(58-70)


でした。今シーズン最終戦でしたが、思ったような結果は出なかったです。結局今シーズンベストは、7/15(金)に出場した尼崎中長距離記録会の2'03"95でした。

 

 

 

 

 

 

(1)いろいろと回顧
①展開
まずは動画をご覧いただければと思います。


www.youtube.com


気象条件は最高でした。少し暑いくらいでしたが、風もほとんどなく、好コンディションの中でレースに出場することが出来ました。

基本的にレースは「逃げ先行」ではありますが、今回もスタートしてからブレイク地点で先頭に立ってレースを進めることが出来ました。

400m通過は58秒、当初予定していた通りの通過タイムでしたが、600mくらいで疲れ切っていましたね。最後は惰性で走ってしまった感じです。

もう少しどうにかなったかなとは思いますが、先週のレースより内容は良かったのでまぁ良しとします。

k-showtime.com

↑先週の兵庫秋季記録会の800mのレース回顧です。

ただ、今日のレース展開を先週の兵庫秋季記録会でしたかったのが本音です。
これについては身体の疲労もありましたし、いまさら何を言っても仕方ないことです。

 

 

 

②取り組んできたこと

k-showtime.com

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この10月にベストを更新するために、8月9月はレースには出場せずに練習だけを積んできました。走った距離も、スピードも自分の中ではよくできたかなと思います。

ですが、結局秋シーズンは結果を出すことが出来ませんでした。

結果が出なかったという事は、たとえどのような努力をしてきたとしても、それはほぼほぼ無駄になったという事です。

何とも言えませんな。

 

 

 

③今後取り組むこと
来年の春シーズンに向けて、少しずつ練習を積み上げていきたいとは思いますが、正直今は何もしたくありません。

しいて言うなら、体幹や筋力トレーニングはするべきなのでしょうね。
距離やスピードにとらわれ、この辺りはほとんどしてこなかったのが本音です。

まずは、自分自身の身体を作り直すところから始めていきたいと思います。

 

 

 

 

 

(2)最後に
秋シーズンのターゲットとしていた兵庫秋季記録会・MDCでも結果を出すことが出来ませんでした。800mで2分を切って辞めるという目標が来年に持ち越しとなりました。なかなか難しいですねぇ。

健康維持のために再開したランニングでしたが、どうせならタイムが欲しいと思ってしまうのがダメなところなんだろうとは思います。

 

冬期もケツ割れします。健康陸上、バンザイ。